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勇気ある撤退(3) [ネパール]

ふと、この一瞬で死ぬかもしれない、と思うことがある。
標高差120メートルの谷底は、すぐ横に深く深く広がっている。トルコブルーの河は優雅に蛇行し、音もない。この急斜面に貼り付いて、僅かに切り取った一車線の赤茶けた道路を、4輪駆動は前後左右に大きく揺れながら登っていく。
山間の夕暮れは早い。既に太陽は尾根の向こうに隠れている。空は青く明るさを保っているが、茶色い土埃で視界がいいとは言えなかった。
ちょっとハンドルを切り損ねれば、確実に死ぬ。
命を預けるということはこういうことなのだと思う。

私は出発前に運転手に少し多めのチップを渡した。一日16時間の運転は大変だ。不機嫌なまま運転すれば、事故に繋がりかねない。機嫌良く頑張ってもらうためには、多少の出費もやむを得ない。まだ若い彼の薬指には結婚指輪も光っているし、自分だって死にたくはないだろう。安全運転で切り抜けてくれることを祈るしかない。
難しいカーブで対向車と擦れ違う時は、私たちは車を降りて4スミを確認しながら運転手を誘導した。車輪が崖に落ちないよう、バンパーを叩いて合図する。運転の誘導という意味もあるが、心のどこかで、車が落ちても自分は落ちない、という卑怯な考えもあるのかな、と、ふと思ったりする。

比較的順調なペースの山越に安心し始めた時である。急カーブの向こうから、大きなバスが現れた。デカイ。しかも満員。しかも、屋根にまで人が満載である。
私は青ざめた。この大型バスとどうやって擦れ違えと言うのだ。無理。絶対無理。
我が運転手は崖側にポジションを取った。できるだけ寄って、バスを谷側から通らせようと試みる。しかし、バスもまた崖側に寄る。正面睨めっこで身動きが取れない。
私は車輌を飛び降りて、4駆が下がれる場所を探そうと来た道を駆け足で引き返した。僅かに広めのカーブがある。そこでB.B.を呼ぶ。
しかし、4駆は谷側へと進み始めるではないか。
まさか、あそこで擦れ違う気????

そのシーンを私は写真に撮り損ねたのが残念でならない。
慌てて飛び降りたので、バッグにカメラを置いてきたのだ。
だが、今も目に焼き付いている。B.B.が崖の淵に立ち、運転手がゆっくりとハンドルを切る。バスの運転手も降りてきて、ハンドルの切り方を指示している。
もし、崖が崩れたら……。
そんなフラッシュバックが何度か私の目をかすめた。

ああ、通り抜けた。
バスの屋根に乗った若者たちから歓声が上がる。
そして、バスはブルブルと大きなエンジン音を立て、私に向かって突進してくる。
パッパラ、パラパラ!!
大きなクラクションを何度も鳴らし、雄々しい叫び声が山に響く。
私は崖っぷちの藪の木にしがみつきながら、バスをやり過ごす。土煙で視界が見えなくなり、そしてまた目を開けると、バスの屋根の青年たちが元気に私に手を振ってくれた。私も手を振る。するとまたパッパラパッパラと威勢よくクラクションが響く。

この場所から数キロも離れていないところで、昨年12月に約50名が亡くなっている。1年前にも10名が亡くなった。車ごと谷底に落ちれば、生き残る術はない。周辺に病院はなく、即死でなくても、輸血ができないため助かる道は少ないのだ。
その後も何度かトラックと擦れ違った。
擦れ違ったあとのトラックの後ろ姿を紹介する。それから、舗装道路で撮った、あの時の大型バスと同じタイプの写真も。この道で大型バスと擦れ違うことの大変さを、少しは想像してもらえるだろうか。

現場に入るたびに、「後悔はないか」と自問自答する。いつ死んでもいいように、素直でいたいと思う。会いたい人には会ったか。話したい人とは話したか。書きたいものは書いたか。
危険を伴う仕事だ。でも、だからこそ、時間や命の尊さをいつも感じることができるのかもしれない。

22時45分。
私はカトマンズのホテルに戻った。
ホテルの部屋に入って電気をつけると、大きなゴキブリが出迎えてくれた(泣)。
ホテル・スタッフを呼び、一悶着してからシャワーを浴びてベッドへ。
体が揺れているようで眠れない。
結局明け方4時過ぎになってやっとうとうとした。

翌日、予定通りバンダが決行された。

(おわり)

トラック.jpg

未舗装道路.jpg

ピンクのバス.jpg
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コメント 4

かとーA

日本の経済小説界の未来が救われて良かったです。
「水牛の居る風景」の時は、意識を失ったんでしたよね。
あぶない、あぶない。
by かとーA (2012-05-19 00:32) 

mika_m

>かとーAさん、こんばんは。
「水牛……」の時はせいぜい10メートル弱でしたが、ここでは100メートル以上の落下となるので意識ではなく命を失います(~~;
でも、書きたいものがあるので、まだ死ねませんよ。
by mika_m (2012-05-19 01:45) 

イワナ

よくぞご無事で(T_T)
いつどうなるかわからないのだから後悔しないように素直に生きる。
ほんとは誰しもそうなんですよね。
確率の違いだけで。
そんなことを忘れてのんべんだらりと生きてしまいます。
by イワナ (2012-05-21 10:41) 

mika_m

>イワナちゃん、ありがとう。
これからが調査本番だから、何度も現場に入らなくちゃいけないんですよ。今は気合いが入っているけど、ちょっとずつ慣れて、麻痺してくるのかもしれません。
by mika_m (2012-05-21 12:18) 

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