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憲法制定ゼネスト6日目突入@ネパール [ネパール]

16日深夜に慌ててカトマンズに戻ったのはいいが、それ以来、身動きが取れなくなっている。街の道路が封鎖されているため道路局事務所に行けず、ホテル内事務所で作業を進める。ゆっくりゆっくり……。でも、そろそろやることがなくなってきた。アイドリング状態で、一日無駄に過ごしているようで気ばかり焦る。本来なら、事前踏査を済ませた後、調査員を集めてオリエンテーションを開き、それから現場に入って2週間にわたりアンケート収集やワークショップをする予定だった。
でも、移動困難なため関係者動員ができず、現場にも入れない。事務所の中で足踏みしている感じだ。アイドリング期間が長くなってくると、もう気持ちまで弛緩して来る。5時半までダラダラ仕事するふりして、部屋に戻って真剣に小説執筆って感じだ。これでいいのだろうか……。

業務計画を立てた時は、ここまで酷いバンダになるとは思っていなかった。2008年当時よりもバンダはかなり減ったと聞いていたし、他国業務との絡みと、雨季前に現地調査をしたいという思惑でこの時期の出張を決めたのだ。二ヶ月の出張で1週間身動きが取れないというのは致命的だ。遅れを取り戻すのは困難だし、このままだと、アサイン終了後に、日本で残務をこなさなくてはならない。期間内の報酬しかもらっていないのに、成果品が出なければ、延長分はただ働きということだ。

などと、己の都合ばかり考えている自分が情けない。
ネパール人は、憲法という国の根幹を成すルールを制定するのに大変な産みの苦しみを負っている。政治だけの問題ではない。長引くバンダ(ゼネスト)は庶民生活にも打撃を与えている。病院は薬品の補給もできないし、医者も通勤できない。入院患者は治っても帰宅できない。日雇い労働者も日銭が稼げないので生活が困窮しているようだ。それなのに私は、自分の業務が進まないことに苛立っている。というか、もうイライラは通り越して、溜息と諦め笑い。

現地スタッフが、
「松村さんのパスポートはまだ取りに行けない」
と眉を寄せて報告に来た。マルチビザへの切り替えのため、入国管理事務所に書類とパスポートを提出したままなのである。
「歩いて行きましょうか?」
「いえ、急がなくていいですよ。イミグレーションに行くのに国会の前を通るのも危ないし」
「でも、何かあったら松村さんだけ出国できません」
「は?」
私は、一瞬固まった。そうだ、パスポートがないと出国できない。
「もし緊急避難命令が出ても、松村さんは飛行機に乗れません」
がーん。
調査団の仲間に「皆さんはパスポートは?」と聞くと、現在パスポートが手元にないのは私だけらしい。ということは、私だけ置いていかれるってこと?
「いや、日本大使館に逃げ込めば大丈夫ですよ」
「でも、パスポートがないと日本人だって証明できないかなぁ」
「日本語ぺらぺらですっ!」

もちろん、緊急避難なんてことにはならないと思う。
まさかぁ……(苦笑)と思う。
コソボ紛争や、イエメンから同僚が引き揚げたことがあったが、私はそんなことに巻き込まれることはない……と笑っていたら、ハッと思い出した。そうだ、2006年にパレスチナで仕事をしていたとき、任地のジェリコが空爆に遭って緊急避難したことがあった。あの時は業務中でジェリコから離れていたため、パレスチナの行政首都ラマラに行き、その後JICAの防弾車が迎えに来てテルアビブに移動した。まったく着の身着のままの脱出だった。空爆は12時間続き、調査団は一次避難を余儀なくされ、それでも1週間後にはジェリコに戻ったのだった。

たぶん、ネパールでは空爆はない。
仮に暴動が一部であっても、インドネシアのスハルト政権崩壊時のようにはならないはずだ。
ネパールで仕事をしていて一番怖いのは、やっぱりシンズリ未舗装一車線道路の運転かな。
治安についてはあまり心配してないです。ははは。
仕事したいよ~。
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