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スカイプ等使用禁止法@エチオピア [エチオピア]

「重要な注意喚起」という標題でメールが来た。
エチオピアJI○A事務所からである。

「本日、エチオピア政府がスカイプ等の使用を禁止する法律を施行したことを確認しました。
Skype、Google Talk等のVoice-Over-Internet Protocol(VoIP)全ての使用を禁止するとなっています。
理由の一つは「エチオテレコムの収益確保」ですが、あわせて「アラブの春」の再現を抑止することもあるようです。」

はぁ、何ともまぁ。
エチオピアでは政府行事の前に全く通信機能が麻痺することがあったが、それはFBなどでデモを呼びかける連絡手段を遮断するためだと噂されていた。VoIP登録制になり、政府による関連機器の監視も正当化されるとのことである。
「なお、同法では、VoIPの使用に対し、最長15年の懲役刑が科されることとなっています」
要するに情報統制による政治犯取り締まり強化ということだ。
在住の外国人は不自由を強いられ、投資意欲も半減するだろう。

1980年代の開発独裁について、私は完全否定はしていない。強い政府が決断を下すことによってインフラ整備が進んだことは確かだった。でも、インフラ整備が進み、教育アクセスが容易になり、経済成長が確保できた段階で、中産階級が育って情報開示や自由を求める声が高まるというのが一般的。このプロセスをきっちり見極めて支援しないと、長期独裁を許し、あるいは内戦を誘発してしまう。

エチオピアについては、判断が難しい。
多民族国家でいわゆる近代教育が普及していない彼らに自由と民主主義を説明しても「自分勝手」と理解して無法状態になる可能性はある。だが、だからといって、独裁政権を20年以上続けているのはどうかと思うし、それを支え続ける援助のあり方にも疑問がある。「もうこの国は放っておいたらどうか」というのが、実は多くの援助関係者の声だったりする。

エチオピア政府は国民の貧困を人質にとって援助を潤沢に手に入れている。そのことをわかっていながら、やせ細った可愛そうな子供たちに同情を寄せる人々は大量のお金と食糧を注ぎ込む。私は時々、こうした映像を見せられると嫌悪感を抱くことがある。その裏に隠れた様々な矛盾や問題を飛び越えて「感情」にだけ訴えてしまうことに違和感を覚える。「お金だけ出して安心してていいの?」とドナーに言いたくなる。もっとも、じゃあ何ができるかと言われれば、3年近くプロジェクトを実施してきて、無力ばかり感じる毎日であったし、「お金だけあげて自己満足のまま逃げるが勝ち」というのもわかる気がする。

さて、エチオピアのスカイプ等Voice-Over-Internet Protocol(VoIP)使用禁止法は、これからいったいどういう展開を見せるだろうか。政府への反論を圧殺していく情報統制を、どうやって維持していくのだろうか。

皮肉にも、私は今、政府が崩壊して未だに解決の糸口が見つからないネパールで仕事をしており、「究極の選択でどっちがいい?」と比較されると非常に困る。政府不在で精神的規範を失ったため犯罪も徐々に増えているネパールと、情報統制で強い政府を維持しようとするエチオピア。
個人的には、アナーキーでもいいから、ネパールに軍配だな。いくら政府が強く安定していても、私は発言の自由のない社会では生きていけない。
真っ先に牢屋行きだろう。
無政府社会なら、自分が自己責任で気を付ければなんとか泳いで行けそうだけど。
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「運が悪ければ死んでます」と怒られるの巻 [ネパール]

「途中でタイヤのボルトが折れちゃったんですよ~」
昼食のうどんを食べながら、私は総括に笑顔で地方出張の報告をした。が、総括の顔色が一瞬で変わる。
「えっ、車輪のボルト?」
「はい、第二工区の登り走行中に変な音がするってチェックしてみたら右前輪のボルトがポキッて折れたらしくて、よく見たら、既に1本折れてるし」
「おい、大丈夫なのか?」
「で、あれこれいじっているうちに、締めすぎたのか、3本目が折れちゃったんですよね。運転手ったら、以前この車は走行中にタイヤが外れて転がって行ったとか言うし、私、さーっと青くなっちゃいました」
私はへらへら笑いだったが、総括は目をぎょろっとさせ、声色を変えた。
「第三工区の未舗装道路だったら死んでるよ。谷底へ落ちて、今頃みんな大騒ぎだ」
「は……はい」と私は恐縮して肩を縮める。
「写真は撮りましたか?」
「いえ、私も今は笑ってますけど、そのときは、動転して余裕がなかったものですから、写真まで気が回りませんでした」
「ちゃんと報告書を書いてJI○Aに提出ましょう。こんなレンタカーしかないなんて、命に関わる問題です。私は事故が起きるのが一番怖いんですよ。レンタカー会社の社長を呼んで安全対策について文句を言います」

6本のうち、片側3本がなくなるという状態で、急カーブの多い未舗装の崖を走行するのは、確かに自殺行為である。結論から言うと、シンズリ道路工事のキャンプに行って支援を頼み、ワークショップで応急措置をして5本まで回復させた。工事キャンプに泊まる予定になっていたので、日本人エンジニアに相談できたのが不幸中の幸いである。すぐに対応してくれた。
「この状態で第三工区を走ったら、残りの3本も折れるよ」
そう指摘された時、私は半分泣きべそをかいていた。私だって、このまま未舗装一車線の断崖絶壁を走るのは恐怖だったのだ。途中でタイヤが転がったら、谷底200メートル落下である。タイヤだけ落下してくれればいいが、車ごと落ちる可能性も否定できない。前輪のタイヤが落ちればハンドルが効かない。山でカーブを切るたびにタイヤに負荷が掛かるのに、未舗装のガタゴト道では安全の保障はない。

夕方、レンタカー会社の社長と運転手がやってきた。運転手はすぐに異変に気づいてくれたし、それだけでも本当に有り難いと思っているのだけど、総括は「大事故になったらどうするんだ!」と怒りの表情。上司としては、部下の死など絶対にあってはならない事態なのだし、怒るのもわかる。運転手さん、眉を下げてしゅんとしてる。でもね、私はいつも命を預けてるんだし、本当にすぐ気がついてくれて感謝してるよ。大事故にはならなかったのは貴方のおかげ。ホント、泣きたくなるくらい感謝してる。

往路(前日)の第二工区で、5年前に事故で亡くなった日本人エンジニアの慰霊碑に手を合わせたことを思い出した。もしかしたら、若くして亡くなったエンジニアの魂が、比較的危険の少ないところでボルトの問題を私に知らせてくれたのかもしれない……。

なんて……、総括に事の重大さを再認識させられて、ちょっとおセンチになっちゃいました。うるうる。

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写真;慰霊碑にお参りする運転手(このときの事故は足を滑らせての転落)
応急措置をしたタイヤ。まだ一本は折れたまま
折れた3本目のボルト
無事に帰還したISUZU車(2004年型)
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非常事態宣言……か? [ネパール]

憲法制定の最終期限まで2時間を切った。
このホテルは比較的議会に近いため、若干デモの奇声が聞こえてくる。
ちょっと覗きに行こうかなぁと思ったら、
ホテルの人に引き留められる。
「ダメです、始まってるみたいです」
と、物を投げるアクションをする。
「大丈夫よ、ネパール人は暴力的ではないから」
「いえ、curfew(外出禁止令)が出ると言われています」
「ラジオかテレビで言った?」
「いえ、友人からの連絡で……」
「噂じゃないの?」

私はホテルの人に、「ちょっとだけ見に行く」と行って門まで行った。
門番は既に鍵を掛け、結局門の隙間から外を見るのみだったが、
辺りは暗く、店はどこも閉店している。
数時間前に外に出たときよりも人の数は減っており、たむろしていた武装警官隊の姿も見えなくなっていた。

もし、出張でなかったら出掛けてしまうのだろうけど、チラリと団長の顔が脳裏に浮かぶ。
何かあったら迷惑を掛けてしまうし、ここは我慢するしかない。

仕方なくホテルに戻り、友人でジャーナリストの小倉清子さんのツイッターをフォローする。彼女はネパール語が堪能なので、タイムリーに日本語訳して情報を流してくれるのだ。
緊急事態宣言を発令して期限延長にするか、議会解散にするかの瀬戸際のようだ。
間もなく首相のスピーチがあるというのでテレビをつけたが……。
議会でみんな楽しそうに夕食を食べている映像。

本当にがっくりするんですよねぇ。
デモって言っても、全然真剣さが伝わってこなくて、
へらへらニコニコしていて、政府を倒そうという気合いもないし、
ただ「言いたいことを言うぞー」って感じである。
もちろん、感情が激すると何をしでかすかわからない危険はあるんだろうけど、
それぞれの要求はあるが、その先の展望はない、というのが各組織の感覚なのかもしれない。

停電になったためスタッフを呼んだら、
「もう解散総選挙ですよ」と諦めムードだった。
更に、
「ネパールでは解決出来ないから、インドでもアメリカでもいいから外国に介入して欲しい」
とまで言う。
なんとまぁ。
このダラダラした状況にみんな疲れちゃった感じだ。

BBCを回してもネパールのニュースはやっていない。
もう世界に見放されたのかと思いたくなる。
憲法制定期限も既に五回目だから、もうオオカミ少年状態なのだろう。
とりあえず、12時までは状況を見ます。
はー。
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憲法制定ゼネスト6日目突入@ネパール [ネパール]

16日深夜に慌ててカトマンズに戻ったのはいいが、それ以来、身動きが取れなくなっている。街の道路が封鎖されているため道路局事務所に行けず、ホテル内事務所で作業を進める。ゆっくりゆっくり……。でも、そろそろやることがなくなってきた。アイドリング状態で、一日無駄に過ごしているようで気ばかり焦る。本来なら、事前踏査を済ませた後、調査員を集めてオリエンテーションを開き、それから現場に入って2週間にわたりアンケート収集やワークショップをする予定だった。
でも、移動困難なため関係者動員ができず、現場にも入れない。事務所の中で足踏みしている感じだ。アイドリング期間が長くなってくると、もう気持ちまで弛緩して来る。5時半までダラダラ仕事するふりして、部屋に戻って真剣に小説執筆って感じだ。これでいいのだろうか……。

業務計画を立てた時は、ここまで酷いバンダになるとは思っていなかった。2008年当時よりもバンダはかなり減ったと聞いていたし、他国業務との絡みと、雨季前に現地調査をしたいという思惑でこの時期の出張を決めたのだ。二ヶ月の出張で1週間身動きが取れないというのは致命的だ。遅れを取り戻すのは困難だし、このままだと、アサイン終了後に、日本で残務をこなさなくてはならない。期間内の報酬しかもらっていないのに、成果品が出なければ、延長分はただ働きということだ。

などと、己の都合ばかり考えている自分が情けない。
ネパール人は、憲法という国の根幹を成すルールを制定するのに大変な産みの苦しみを負っている。政治だけの問題ではない。長引くバンダ(ゼネスト)は庶民生活にも打撃を与えている。病院は薬品の補給もできないし、医者も通勤できない。入院患者は治っても帰宅できない。日雇い労働者も日銭が稼げないので生活が困窮しているようだ。それなのに私は、自分の業務が進まないことに苛立っている。というか、もうイライラは通り越して、溜息と諦め笑い。

現地スタッフが、
「松村さんのパスポートはまだ取りに行けない」
と眉を寄せて報告に来た。マルチビザへの切り替えのため、入国管理事務所に書類とパスポートを提出したままなのである。
「歩いて行きましょうか?」
「いえ、急がなくていいですよ。イミグレーションに行くのに国会の前を通るのも危ないし」
「でも、何かあったら松村さんだけ出国できません」
「は?」
私は、一瞬固まった。そうだ、パスポートがないと出国できない。
「もし緊急避難命令が出ても、松村さんは飛行機に乗れません」
がーん。
調査団の仲間に「皆さんはパスポートは?」と聞くと、現在パスポートが手元にないのは私だけらしい。ということは、私だけ置いていかれるってこと?
「いや、日本大使館に逃げ込めば大丈夫ですよ」
「でも、パスポートがないと日本人だって証明できないかなぁ」
「日本語ぺらぺらですっ!」

もちろん、緊急避難なんてことにはならないと思う。
まさかぁ……(苦笑)と思う。
コソボ紛争や、イエメンから同僚が引き揚げたことがあったが、私はそんなことに巻き込まれることはない……と笑っていたら、ハッと思い出した。そうだ、2006年にパレスチナで仕事をしていたとき、任地のジェリコが空爆に遭って緊急避難したことがあった。あの時は業務中でジェリコから離れていたため、パレスチナの行政首都ラマラに行き、その後JICAの防弾車が迎えに来てテルアビブに移動した。まったく着の身着のままの脱出だった。空爆は12時間続き、調査団は一次避難を余儀なくされ、それでも1週間後にはジェリコに戻ったのだった。

たぶん、ネパールでは空爆はない。
仮に暴動が一部であっても、インドネシアのスハルト政権崩壊時のようにはならないはずだ。
ネパールで仕事をしていて一番怖いのは、やっぱりシンズリ未舗装一車線道路の運転かな。
治安についてはあまり心配してないです。ははは。
仕事したいよ~。
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勇気ある撤退(3) [ネパール]

ふと、この一瞬で死ぬかもしれない、と思うことがある。
標高差120メートルの谷底は、すぐ横に深く深く広がっている。トルコブルーの河は優雅に蛇行し、音もない。この急斜面に貼り付いて、僅かに切り取った一車線の赤茶けた道路を、4輪駆動は前後左右に大きく揺れながら登っていく。
山間の夕暮れは早い。既に太陽は尾根の向こうに隠れている。空は青く明るさを保っているが、茶色い土埃で視界がいいとは言えなかった。
ちょっとハンドルを切り損ねれば、確実に死ぬ。
命を預けるということはこういうことなのだと思う。

私は出発前に運転手に少し多めのチップを渡した。一日16時間の運転は大変だ。不機嫌なまま運転すれば、事故に繋がりかねない。機嫌良く頑張ってもらうためには、多少の出費もやむを得ない。まだ若い彼の薬指には結婚指輪も光っているし、自分だって死にたくはないだろう。安全運転で切り抜けてくれることを祈るしかない。
難しいカーブで対向車と擦れ違う時は、私たちは車を降りて4スミを確認しながら運転手を誘導した。車輪が崖に落ちないよう、バンパーを叩いて合図する。運転の誘導という意味もあるが、心のどこかで、車が落ちても自分は落ちない、という卑怯な考えもあるのかな、と、ふと思ったりする。

比較的順調なペースの山越に安心し始めた時である。急カーブの向こうから、大きなバスが現れた。デカイ。しかも満員。しかも、屋根にまで人が満載である。
私は青ざめた。この大型バスとどうやって擦れ違えと言うのだ。無理。絶対無理。
我が運転手は崖側にポジションを取った。できるだけ寄って、バスを谷側から通らせようと試みる。しかし、バスもまた崖側に寄る。正面睨めっこで身動きが取れない。
私は車輌を飛び降りて、4駆が下がれる場所を探そうと来た道を駆け足で引き返した。僅かに広めのカーブがある。そこでB.B.を呼ぶ。
しかし、4駆は谷側へと進み始めるではないか。
まさか、あそこで擦れ違う気????

そのシーンを私は写真に撮り損ねたのが残念でならない。
慌てて飛び降りたので、バッグにカメラを置いてきたのだ。
だが、今も目に焼き付いている。B.B.が崖の淵に立ち、運転手がゆっくりとハンドルを切る。バスの運転手も降りてきて、ハンドルの切り方を指示している。
もし、崖が崩れたら……。
そんなフラッシュバックが何度か私の目をかすめた。

ああ、通り抜けた。
バスの屋根に乗った若者たちから歓声が上がる。
そして、バスはブルブルと大きなエンジン音を立て、私に向かって突進してくる。
パッパラ、パラパラ!!
大きなクラクションを何度も鳴らし、雄々しい叫び声が山に響く。
私は崖っぷちの藪の木にしがみつきながら、バスをやり過ごす。土煙で視界が見えなくなり、そしてまた目を開けると、バスの屋根の青年たちが元気に私に手を振ってくれた。私も手を振る。するとまたパッパラパッパラと威勢よくクラクションが響く。

この場所から数キロも離れていないところで、昨年12月に約50名が亡くなっている。1年前にも10名が亡くなった。車ごと谷底に落ちれば、生き残る術はない。周辺に病院はなく、即死でなくても、輸血ができないため助かる道は少ないのだ。
その後も何度かトラックと擦れ違った。
擦れ違ったあとのトラックの後ろ姿を紹介する。それから、舗装道路で撮った、あの時の大型バスと同じタイプの写真も。この道で大型バスと擦れ違うことの大変さを、少しは想像してもらえるだろうか。

現場に入るたびに、「後悔はないか」と自問自答する。いつ死んでもいいように、素直でいたいと思う。会いたい人には会ったか。話したい人とは話したか。書きたいものは書いたか。
危険を伴う仕事だ。でも、だからこそ、時間や命の尊さをいつも感じることができるのかもしれない。

22時45分。
私はカトマンズのホテルに戻った。
ホテルの部屋に入って電気をつけると、大きなゴキブリが出迎えてくれた(泣)。
ホテル・スタッフを呼び、一悶着してからシャワーを浴びてベッドへ。
体が揺れているようで眠れない。
結局明け方4時過ぎになってやっとうとうとした。

翌日、予定通りバンダが決行された。

(おわり)

トラック.jpg

未舗装道路.jpg

ピンクのバス.jpg
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勇気ある撤退(2) [ネパール]

午後4時。ホテルの予約をキャンセルし、引き返す決断をする。
ネパールのバンダは、予測不能である。噂やら公開宣言やらが混ざって、果たしてバンダするのかしないのか、そのとき、その場所に遭遇しないとわからない。だいたい、バンダは日本語ではゼネスト、英語ではGeneral Strikeと訳されるが、それとはかなり内容が異なる。バンダはバンダなのだ。
日本でイメージするストライキは、労働者が職場改善や賃金交渉のために仕事をボイコットするというものだ。でも、ネパールのバンダは「政治決定が気に入らない」と道路をブロックして社会活動を強制阻止することで自己主張を実現させようというものだ。他者の迷惑を”人質”にして要求を通す意味ではストライキだろうけど、ストライキを実施する主体は異なる。最近は政党が実施者なのである。
「明日は○○党がこの政策に反対してバンダだ」と発表がある。
では、政党員が道をブロックするのかというと、そこも微妙。カトマンズではまとめ役がいるらしく、政党から注文を受けるとスラムで人を雇い、道路ブロックを要請するとのこと。「ノンポリだよ。お金をもらえばどの政党のバンダでも実施する」とローカル・コンサルは言う。

この手のバンダが流行りだしたのは4年前からである。当時はマオイストがやっていたのだが、そのうち村人が「道を隔てた向こうに電気が来ているのにうちには来てない。道を封鎖する」「映画でいいシーンがカットされていた。気に入らないから映画館の前を封鎖する」「うちの家の前で鶏が車にひかれた。頭に来たからバンダする」という無法状態になった。最近はこの手のハチャメチャ・バンダは減ったのだが、各政党がバンダ要員を雇って政治要求を通す政治ツールになってしまったようだ。
工事現場なども、バイクに乗った政党員や雇われ政党員が「作業をやめないと破壊する」と無茶ぶりを通す。道路でも「バンダに協力せず車で移動はけしからん。車に火をつける」という行為が起こる。殺人にまでは発展しないようだが、市民は「あーあ」といいながら従うしかないのである。

最近のホットイシューは「憲法制定」である。最も議論が混乱しているのは連邦制の問題で、どこでボーダー線を引くかについて合意が困難になっている。「カースト毎に連邦を作る」という案や「これまで通りでいい」という人や、「南部は独立させたい」という政党や……。もう4年も揉めていて、来る5月27日はいったい何度目の最終公布日なんだ、どうせまた延期だろう、というくらいのものである。もう国際ニュースにもならない。数ヶ月毎に延期になるから、年中行事のようになっている。

それでも人々は生活しなくてはならない。
民間企業は酷い損害だ。日雇い労働者だって、仕事がなければ給与がもらえない。先が見えず、何となく社会がどんよりしている。

「みかさん、This is Nepal!」
とB.Bが言う。
でも、どうしてだろう、私はこんなネパールが好きだ。
この社会で生きているB.B.をはじめとした仲間たちが好きだ。
彼らは絶望的な社会状況にありながら、貧困撲滅を夢見ている。まだネパールを捨てずにいる。(ひとりは移住を決めようとしているが……)
さあ、カトマンズへ!
私たちは車に乗り込んで今来た道を引き返し始めた。
暗くなる前に、未舗装一車線道路を抜けられるか……。

(つづく)
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勇気ある撤退(1) [ネパール]

朝7時に出発した4輪駆動2台のチームは順調に調査を開始した。ローカル・コンサルが5人に私が加わったこの調査は、本格的なフィールド調査に入る前の調査手法の確認が主な目的である。地図上のSettlementと現状を照らし合わせ、世帯調査のサンプリング方法などを現実的なものにする必要があるのだ。道路開通間近だが、もともと山奥でまともな地図はない。舗装が進むにつれて道路沿いの村々の様子が変化しつつあるため、数年後の全線開通を前に、沿線状況を記録しておこうというのである。
総延長160キロ周辺に暮らす人々の生活状況をどのように調査分析するか。GPSでどの程度の建物を記録するか。
私たちはその実現可能なメソドを議論しながら順調に旅を続けた。
行き交うバスに、「バンダ状況は?」と聞く。
道がブロックされていないことを確認し、「今日は大丈夫。何とか予定をこなせそうだ」と思ったのだが……。
午後3時半。8割方目的を達成し、テライ地域へ入る前にホテルのチェックインを済まそうとした時に電話が鳴った。カトマンズのアシスタントからである。
「明日は全国レベルのバンダとなるらしい」
これまでが順調だったので、俄には受け入れがたい情報だった。しかも、この地域はかなりの田舎。こんなところにまでバンダが波及してくるとは思えなかった。
私はすぐにローカル・コンサルに相談した。彼らは携帯電話で情報を集め始めた。
「Risk Management Officeの友人は、明日から全国無期限バンダだと言っている」
「UNDPも」
「ジャーナリストからも、今夜中にカトマンズに戻った方がいいと言われた」
8時間掛けて来た道を、これから引き返すと言うのか……。しかも、山道。しかも未舗装。ガタゴト道で頭痛がしていた私は、やっと少し横になれると思ってホッとしていたので、今夜中にカトマンズに戻るという選択肢に言葉を失った。
「もう1ヶ所の目的地は諦める。その代わり、戻る途中で調査票のプリテストをしましょう」
数年前も一緒に仕事をしたことのある、信頼できるローカルコンサルタントの判断は明確だった。明るいうちに一番危険な崖っぷちの未舗装一車線道路を抜けられれば、夜11時にはカトマンズに着けるというのだ。
「ここでバンダに遭って数日間身動きが取れなくなったら大変だ」
無期限バンダでこんな田舎町から出られなくなれば、仕事にならない。安全のためパソコンをカトマンズに置いてきた私は、反論する余地がなかった。

(つづく)
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リフト・バレー(大地溝帯)の朝日 [エチオピア]

sun rise of lift vallay.jpg
リフト・バレー(大地溝帯)は、アフリカ大陸の割れ目である。
遙か眼下に広がる谷は、日本で言う谷とは形相が違い、幅10キロにも及ぶ。
私はその西岸に立ち、谷の向こうから登ってくる朝日をカメラに納めた。

大地溝帯の割れ目には湖が点在する。
いわゆる古代湖で、数万年前から存在する湖なのだという。
何が珍しいのかと言えば、通常湖は川から流れ込む土砂によって、
そんなに長くは存続できないらしい。
ところが、この大地溝帯は常に割れ続けているため、
土砂に埋め尽くされることなく生き長らえているとか。
アフリカ古代湖で有名なのはタンガニーカ湖、マラウイ湖だが、
たぶん、地形的にはこのアバヤ湖とチャモ湖も同時代のものだろう(詳細不明)。

人類は、この大地溝帯で暮らすアウストラロピテクス(猿人)から始まったと言われている。
二足歩行のルーシちゃんが立ち上がったのは、350万年前のことで、
それから人々は進化しながら大陸を移動して世界へと散らばったとされている。
つまり、私もルーシーちゃんの子孫なわけで、
エチオピア人の二足歩行に感謝しなくてはならない。

「僕はそんなの信じてない」
とアシスタントのT君は言う。
彼はプロテスタントだが、
多くのエチオピア人は、神がこの世を作ったと思っているし、進化論を否定しているようだ。

神も神秘的だろうが、私には地球の歴史の方が神秘的だな。
生まれて朽ちていく生命……。
死んだら、窮屈な骨壺に入らずに自然のまま風に晒されたい。
そして地球の栄養になりたい。
そんな気分にさせるアフリカの大地溝帯である。
Lift Vallay2.jpg
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ポジティブ思考変換機が欲しい [エチオピア]

「松村さん……、モデルなみに痩せましたね」
「あ、はぁ……まぁ、そうかしらん(照)」
Gさんは超ポジティブ思考。

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おせっかいな日本人 [エチオピア]

印刷屋から戻ってきたアシスタントのTくんが、
「みかの保存したPhotoshopのデータは使えない」
と言って戻ってきた。
「そんなはずないでしょ? CDに焼き付けて、君のPCでも確認したでしょう?」
「CDのデータもUSBのデータも、どちらも開けない」
「えー? おかしいよ。開き方が間違ってるんじゃない?」
「こちらが作った原稿に沿ってもう一度レイアウトを作り直すことにする」
「そんな非効率なこと……。せっかく全く直さなくて言いようにきっちりデザインしたのに」

私は苛立った。

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